No.6 茗渓貿易&一葉亭縁起

※注 お暇なときにお読みください。なんだこりゃ!といって石を投げないように・・・


昔々、関東地方の、とある田舎に、地元では一応名の知れた料亭がありました。その名を割烹一葉と申します。
料亭の主人は、たいそうな台湾好きで、特に台湾の料理とお茶に惚れ込んでおりました。
こんなおいしい物を一人占めするのはもったいないと思った主人は知人縁者を招いては料理とお茶を振舞い、ツアコンの真似をして台湾ツアーを企画し、怪しげな北京語と台湾語を駆使して一人、また一人と台湾ファンに洗脳していったのです。
そのうち、周囲の人々も日常に烏龍茶をたしなむようになったのですが、当時田舎には中国茶を売る店はありませんでした。
人々は、時代劇で米の値を吊り上げている悪徳問屋を襲撃する江戸の庶民のごとく(!)料亭に詰め掛けては、お茶にありついておりました。
料亭は、毎日にぎわっておりましたが、その中身は茶飲みに来る人々(つまりお客さんにあらず)ばかりになってしまいました.
そこで主人は、その人たちに分けるためだけに台湾烏龍茶を輸入するお店を始めてしまいました。その名を茗渓貿易と申します。
とはいえ、主人の道楽でできた店なので、相変わらず店というよりは茶飲み場となっておりました.
時は流れ・・茗渓貿易は十年あまりの間、日本における烏龍茶の消費を、ひっそりちょっぴり増やしておりました。
当時、主に扱っていたのは松柏坑産のものや凍頂茶、それに文山包種茶などで、高山茶はたまにほんの少し入荷する程度でした。
そこに茶縁と申しましょうか高山茶の本場・梅山から林氏がやってきたのです。
大陸の低品質の茶葉やペットボトルの横行する日本の烏龍茶界(そんなものあるの!?)の現状を見た林氏は、 ぜひ故郷の高山烏龍茶を日本の皆さんに紹介したいと思い、茗渓貿易を引き継ぐ事にしたのです。
若い林氏はインターネットを使う事を考え、誕生したのが茗渓貿易・林さんの台湾物産店だったのです。
それに伴い、内容も高山茶中心になりました.。
古い産地である凍頂等から新興産地の高山茶に変わるということは、台湾の烏龍茶生産地の歴史をたどるようではないかと思ったものです.
そして今、茗渓貿易は日本における烏龍茶の消費を、ひっそりちょっぴり増やしつづけています。メデタシメデタシ。